休職と初入院。

夫は4ヶ月の休職を言い渡され、家で過ごす日々が始まりました。考えてみれば、働き始めて20年近くの間長期休暇はお盆と正月3が日だけだし普段も帰宅は9時過ぎで、ゆっくりすることはありませんでした。もちろんほとんどの人はそういう生き方をしていて、ウツにはならないのですが。なぜうちだけがこうなのだろうか‥。自問自答の日々でした。夫はベッドから起き上がることはほとんどなくなり、ずーっと寝たきりのまま。たまに目が覚めている時には携帯ゲームをする程度。そんな状態のなか、休職期間も終わり、産業医との面談後復職決定。片道車で30分ほどの通勤を始めたと思ったら、すぐに「行かなくていいかな」「休みたい」。朝はベッドから起き上がるのもしぶしぶで「もう行かない」「会社辞めるから」のオンパレード。そして「死にたい」と言い出し始めたのもこの頃でした。

そして2011年3月11日。関東地方にある我が家も相当揺れ、そしてテレビから流れてくる凄惨な映像の数々。見てはいけないとわかっていながら目がテレビに釘付けになってしまったあの日。夫の容体も急速に悪化。不安が一気に吹き出て、これはまずいと思いました。薬はもらえるのだろうか、病院まで通うのにガソリンだって足りなくなるかもしれない・・私も不安でいっぱいでした。急遽先生と面談をし、入院決定です。これで一安心でした。

 

ところが一ヶ月後、私の職場に病院から一本の電話が。「奥さんですか。ご主人が病院からいなくなってどこに行ったかわからないんです。至急来てもらえますか?」えー!何してるの?どうなっちゃったの?良くなってると思っていたのに。職場の人には正直には伝えず、親が具合悪いということにしてすぐ病院に向かいました。聞いたらパジャマのままで靴は自分のを履いていったらしい。お金と携帯は持っていたようなので、タクシーに乗ったのではないかという話でした。一瞬「タクシーで樹海に行ったのだろうか?」と頭をよぎりましたが、いやいや樹海は遠すぎると思い直します。死に場所を求めているのはわかりました。他にどこがあるだろう??こういう場合警察に捜索願を出しても探してくれるわけではないのであまり意味はないとの病院からの話。警察は身元不明の遺体が上がった時に捜索願を参考にするようです。なので警察には届けませんでした。とにかく携帯にメッセージを残して連絡を待ち続けました。