裁判決着
2020年3月。
裁判が始まってから1年でしょうか。ようやく決着がつきました。
長かった。。。。本当に、ようやくここまでたどり着いて、心底ホッとしました。
調停と裁判の一番の違いは「裁判所へ出向くか出向かないか」でしょう。
そして裁判所へ出向かないことで、いちいち感情を揺さぶられることがないのが大きな違いでした。
調停は弁護士さんとともに裁判所へ出向き、調停委員さん2人に私と弁護士さんで話をして、次に相手方が調停委員さんと話をして、と交互に部屋に入って話し合いを進めます。大体全部で1時間かかることもあります。待合室は相手方とは長い廊下を挟んで両側にあり、顔を合わせることにはならない作りになっています。待合室は狭く、大人が8人ほど座れるくらいです。小さいお子さんがいる人のためにベビーベッドや絵本もあるのですが、離婚が題材の絵本でした。
裁判は弁護士さんが行うので、私が裁判所へ行くことはありません。いよいよ最後の日という日に裁判所に出向いて、裁判官と話をして終わりになります。ちなみにテレビでよく見るような裁判所ではなく、会議室のような一室で、テーブルをはさんで座ります。裁判官はスーツを着た若い女性でした。最後の日には相手方も同席して良いかの確認があります。私の場合には私のみ同席を拒むことができたので、顔を合わせずに済みました。
裁判では途中に「和解案」というものが提示されます。これは裁判所から「この内容で双方とも和解したらどうでしょうか」という提示のようなものです。和解で済めばお互いに了承しての決着だから後々も後腐れがない上、控訴もできません。
結句最後は和解案をのむ形で終わりました。
裁判が終わってからも事務手続きがあり、最終的に戸籍等すべて片付いたのが1ヶ月後くらいでしょうか。
そこで初めて「終わったんだなぁ」という実感が持てたのです。
痴呆の母の世話をする友人が言っていたコト。
「私を人前で盗人扱いしたお母さんがどうしても許せない」「病気だから仕方がないって言われるのが一番辛い」と。
「一言謝ってくれることで、どれだけ心が救われるか。」と。。
それを聞いて私は気がつきました。理解できなかったのは病気云々ではない。私もやっぱり夫が許せないのだと。病気を理由に自分のことだけしか考えられない、そして家族への感謝の気持ちも愛情も何も見せないその態度がどうしても許せないのだと。
一言でもいい、家族への想いや愛情、感謝を感じられれば働かない夫でも許すことができたのかもしれないと。
でももうそんな気持ちともお別れです。
新しい人生を、大手を振って楽しく生きていきます。
自分が心から幸せだと思える一瞬一瞬を大事にして。
ここまで読んでくださった皆様にも幸が訪れますように!